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ハマスーキの思い

「コ-バンギラー」と大きな声で唱えながら、バーキを手にアンマー達が漁から戻ったサバニを迎える。昔日の糸満の浜の風景です。
「コ-バンギラー」は大漁を意味する言葉。枡(マス)一杯、サバニ一杯の魚がいつも獲れますようにとの願いが込められています。
乾杯に変えて、この言葉を使おうと提案したのは糸満海人工房・資料館の創設者であり、NPO法人ハマス―キの初代理事長であった上原謙さん。
話好きで、聞き上手、物つくりもお手の物、タクシーの運転手を生業としながら、自宅2階に倉庫兼作業場を作り、道具類、漁具類の収集、保管、修理、復元がライフワークでした。
請われれば、海人(ウミンチュー)のオジイの出稼ぎ話、オバーのカミアキネーの話、糸満の海人文化、歴史を糸満言葉で語り、多くの人に感銘を与えました。
その長年にわたる功績で施政50周年の節目に名誉市民の一人に顕彰されました。 NPO法人ハマスーキは、そんな謙さんの思いを基に、糸満海人の歴史、文化を次世代へ保存、継承することを目的に活動を続けています。

Placeholder 水揚げ風景

東風平 朝正 撮影
(提供:糸満市教育委員会)

上原謙と海人文化

Placeholder NPO法人ハマスーキ

初代理事長 上原 謙
南洋ポナペ島生まれ
(1943年ー2021年)

糸満 海人工房・資料館初代館長を務めた上原謙は、戦中・戦後の物資不足の折りに、限られた木材でも制作可能なサバニ「南洋ハギ」を考案した上原新太郎を父に持ち、幼い頃より海人やサバニ舟大工に囲まれて育ちました。

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成人してタクシー運転手になると、オジーたちの海歩きの話、オバーたちの魚売りの話など、色々なエピソードを聞き、耳学問で海人の足跡を辿りながら、たくさんの知識を得るようになりました。そんな中、ある日タクシーに乗った一人の教員との出会いが海人工房スタートのきっかけになります。
海人文化をよく知るその女性は、「海人の話をするのに、道具がない、展示しているところもない。仕方ないから絵や写真を使って授業をしている」のだと言ったので、「それなら僕が協力します、道具提供しましょう」と引き受けました。この道具を作る為に自宅の屋根裏にトタンで囲った作業場を建てたのが海人工房の始まりです。
集めた漁具などを展示しながら、ミーカガンやカタッパーなどの物づくりを始め、作った道具類20点ずつを、糸満小、糸満南小、西崎小3校に寄贈しました。そのことで、糸満市教育委員会から感謝状を授与され、新聞や雑誌にも載ることになりました。

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次第に展示品も増え、見学者も増える中、市役所で集めた道具類の展示をやったことを機会に展示館の必要性が認識されるようになってきました。そこで、市長に相談すると、現在の場所が使われずに空いているから、NPO法人の団体を作れば貸してもらえることになり、20名の発起人を集めて平成20年2月NPO法人ハマスーキを設立。荒れた倉庫を少しずつ自分たちで整備しながら、資料館運営をスタートさせました。その後、2012年全国豊かな海づくり大会が糸満で開催されることが決まり、その開催に向けて施設が整備され、2014年には新たに展示収蔵庫も完成し現在のような資料館になりました。

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自宅で資料館をやっていた頃は、小学校から依頼がくると、その度に2階から道具を下ろしては軽トラ一杯の荷物を持って出かけ、道具の話や、魚を獲ったら売るんだよ、売ったら食べるんだよ、そんな話を約2時間授業としてやっていました。今ではその授業が、資料館での見学に代わり、糸満市内の小学校の定番学習プログラムになっています。小さな工房は一人の男の思いと地域のサポートによって、糸満 海人工房資料館という形になり、毎年多くの子どもたちが海人文化に触れる機会を提供し続けています。また、現在では、県外や海外からも多くの見学者が訪れるようになり、地域の観光資源としても定着してきています。豊富な知識とミーカガンやウミフゾー等の伝統漁具を作成する技術を持ち合わせた、まさに糸満海人文化の生き字引と言えるような人だった上原謙。2021年5月に惜しまれつつも亡くなってしまいましたが、その意思はNPO法人ハマスーキのスタッフに受け継がれ、糸満 海人工房・資料館の活動に活かされています。

Placeholder 撮影:白鳥岳朋
Placeholder 1975年 上原謙が仲間と共に沖縄国際海洋博覧会の沖縄館招待客用の手土産としてカタッパー(木製のたばこ入れ)1,000 個を製作・納品する。 Placeholder
Placeholder 初代理事長 上原謙が自宅の2階に海人工房を開き、漁具の展示や製作を始める。 1990年頃
現在の場所に海人工房を移し、糸満 海人工房・資料館を開館。 2008年 NPO 法人ハマスーキ設立
Placeholder 現在の場所に海人工房を移し、糸満 海人工房・資料館を開館。 2009年
2012年 全国豊かな海づくり大会に合わせて資料館をリニューアル。関連イベントのメイン会場としてサバニや漁具の展示を行った。 Placeholder
展示収蔵庫新設 2014年
Placeholder 「ミーカガン及び製作具一式」が糸満市有形民族文化財に指定される。 2019年 Placeholder