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第2章 3.糸満海人の分村

 

糸満海人の漁業は発展を続けるが、糸満周辺の海だけでの資源量では足りずに、沖縄本島の沿岸を初め、八重山周辺の島々及び奄美群島の島々、さらに小笠原諸島、高知県、愛媛県の沿岸、長崎県の島々、島根県隠岐まで遠征し、ある時期、糸満集落ができ、また、八重瀬町港川、石垣市の新川、登野城、大川などでは糸満漁民が定着し、独自の社会を形成している。

 喜界島の湾や早町も戦前に糸満漁民が移住し形成した集落である。『喜界島風土記』拵嘉一郎著に「糸満海人によるサガマー漁とムロアジ漁」という記述がある。その概要は次の通りである。・喜界島の漁業は糸満漁夫のクリ舟(サバニの事)に頼らざるを得なかった。 ・島の人たちの生活に必要な魚の需要のほとんどを糸満漁夫が支えていた。 この糸満漁夫たちも戦争が終結すると、多くが糸満にもどって来た。八重山に移住した糸満海人は、竹富町の島々からは殆どが引き揚げ、わずかながらその子々孫々が残っているようである。石垣島では新川、登野城、大川に独自のコミュニテイーを形成し定着している。それでも、糸満の門中の一員として、一族としての血縁に関する意識は強く、墓も門中墓を共有していることもある。

ダイアグラム, マップ

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糸満からの分村位置図