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第5章 糸満海人の移住とその後の活躍

糸満は漁業に糧を求めて沖縄本島北部はもとより奄美の島々、宮古・八重山の島々等から雇い子として若い海人が飛躍的に増加していった。一方で、資源の限界も現れ、他所の島、地域への出稼ぎ漁が始まった。中にはそのまま地元に定着し、糸満村を築いた人々もいた。現在の八重瀬町港川や石垣島の新川、登野城、大川などはその典型例であり、糸満訛りの言葉が話され、風習も糸満と同じくする。南方には、日本政府の移民政策に乗って、シンガポール、フィリピン、インドネシア、サイパンなどの島々にも遠征していったが、太平洋戦争では多くの犠牲者をだし、戦後は殆どが沖縄に戻って来た。ダイアグラム, マップ

自動的に生成された説明
1.喜界島の漁師の言づて
2.喜界島から帰って来た海人の子
 3.八重山生まれの