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第2章 1.糸満町及び糸満漁夫の地理的研究(1944年の記録)

                      仲松弥秀(元琉球大学教授)

 

(糸満には)港らしい港が無いのみでなく、水産製造工場らしいものが見当たらないし、製氷工場らしいものも見当たらない。鮮魚の取引が主である故売れ残りや時間の経ってゐる魚類は各自家でカマボコ其の他にして仕舞ふ。沖からの獲物は直接近い那覇市へ陸揚げするのも多く、たとえ糸満に陸揚げしても早速漁夫の妻女が頭上に載せて各地へ売捌きに行くので、特別な運送設備や魚倉といふ物は設備されて無い。

 斯く糸満町そのものは商業が比較的賑盛であると共に、官公街や旅館、医院、市場、屠場、機械工等があり、漁港と言われ得るものも無く、漁業集落としての色彩は海岸附近のみに濃厚に認められる為め、漁師町といふよりは一地方小中心地としての感が寧ろ強く抱かしめられる処である。然し叙上の商工業を尚少し立ち入って其の属する性別人口を調べるとき、糸満町の商工業の根柢には漁業者といふのが基礎をなして成立してゐることを知り得る。昭和13年調査に依ると、工業戸数中本業292戸、副業23戸、それに属する人口が男465人、女665人となってゐて、女が約200人多いといふことが知れる。綿織物業が行われてゐることは先に述べた通りであるが、然しそれの為めに斯く女が多いというほど盛んなものではない。これは、主として海外に発展してゐる漁夫の妻女が家の生活を送金に頼らずに維持してゆく為め、カマボコ業や豆腐業をしてゐる者が多い関係である。糸満町に行く人は誰しも各辻々に女の豆腐売りのあまりに多いのに吃驚する筈だし、又カマボコ売りの多いのにも驚くことだろう。近在から農産物を頭上に載せて持って来た女は、帰りに商品や豆腐を買って行く。町内の家々も一様に副食物として料理し易い豆腐を食さぬ所は無い程需要が大きい。それ故に遊ぶことを恥辱としてゐる糸満女は、夫に頼らず誰にも容易に出来て且資本もかゝらぬ豆腐、カマボコ業に従事してゐるのである。斯ういふものまで工業戸として計上してある為め工業戸数が多くなってゐるのである。又商業者を同じく昭和13年調査に依ってみると、本業329 戸、副業32戸で是に属する人口男495人、女823人になってゐて、此処にも工業人口と同じく女が甚だしく卓越してゐることが分る。これは勿論世帯主に属する人口の男女別数であるからして一概に女の商店主が多いといふわけには行かぬ筈であるが、然し事実に於て糸満町の商店は女の経営が非常に多いことは、一度此の地を訪れた人の一様に認めるものであり、曾て筆者の問いに対して糸満国民学校の訓導も認めるところがあった。是等の女店主も其の殆どは夫が海外に雄飛してゐる留守者即ち漁夫の妻なのである。このことは独り郷里に於いてのみの現象でなく、糸満漁夫の行く処は何処でも其の妻女の商業経営が見られる。

【出典:糸満町及び糸満漁夫の地理的研究「地理学評論」第20巻2号  1944年】