--> 海人工房資料館ハマスーキ

恩師、タコとり名人、亀太郎オジィ

サバニの上から、箱メガネで水中の様子を覗き込み、漁場を決める。

「今日はタコ、いるかなぁ〜」

亀太郎オジィは神様に想いを使えるかのように呟きながら、良くしごいたカズラ(芋)の葉っぱを、水中マスクのガラス面に擦り付けて言った。
海人オジィの家の庭には、たいてい植えられている「カズラ」。
曇り止めに一番良いらしい。

食糧難の時代には芋ばっかり食べていたし、戦時中の水中メガネがなかった時代には、芋を削ってガラスをはめて使っていたこともある、とのこと。

ちなみに、亀太郎オジィのお父さんは、糸満売りから年季が明けて「宜野座村」に移住した寄留民。

年季奉公を終えたお父さんが、潜り漁が盛んな糸満で生まれたミーカガン(水中眼鏡)の歴史も持ち出し伝わってきたのだろう。

ウエットスーツの浮力を抑えるために、7キロのウエイトをつけ、水中マスク、足ひれをつけると、最初に浮きブイを投げ入れた。

浮きブイには長い紐が繋がれており、一端を身体に結んで、漁具や捕った獲物をぶら下げて引っ張って泳ぐ。身体と繋ぐその紐は、切れやすいものを使う。

「アメリカーの紐は強いヨォ」

パラシュートの訓練で、あっちこっちに落ちると、みんな拾いに行って売っていたらしい。「岩にかかって切れないと危ないので、浮きブイには向かないよ」

基地のある宜野座村(旧金武村)では、水陸両用の戦車が漁場の近くを走ったりと、あまりニュースに上がらない問題が数多くあるが、アメリカ兵がエビを高く買ってくれたりと独特の文化も持っている。

海に潜る準備を終えるた亀太郎オジィは、長い手モリを片手に持ち、ヒラリと海に飛び込む。

沖縄のタコ漁は、サンゴ礁や岩場の穴にタコが入るから、タコ壺は要らない。
このタコの家をタクヌヤー(タコの家)と呼び、ヤー(家)をいくつ知っているかが、財産持ち(たくさん取れる)、ということ。生きたサンゴ礁よりも、ガレ場や岩場など、奥に抜け道のない場所が取りやすいようで、そんなポイントを繋いだ「タクヌヤーマップ」が、亀太郎オジィの頭の中にいくつもある。

他の海人より先に、良い漁場をどれだけ回れるか。
潮回りも考慮して、効率よくヤー巡り。

タコは家に入って好物のエビやカニを食べるとき、きちんと玄関を閉めている。つまり出入り口に石などを積んであるときは在宅。

出入り口が開けっ放しで不在の時は、家の掃除もしてあげる。
ホンダワラなどの海藻が千切れてタコの家に入っていると、その家にはタコが入らなくなってしまうので、亀太郎オジィは管理人のごとく、掃除もして回るのだ。

在宅を確認した時には、一旦水面で呼吸を整える。素潜り漁は、自分の息の続く範囲での勝負。
体を垂直に立て、すっと潜れるように無駄なく動く。ヤーの中のタコに目標を定め、手銛で一突き。突くとすぐに、一旦押し込む。
引っ張ると、タコがヤーから出るまいと8本足で踏ん張る。
手銛で押し、タコが押し返そうとするところを、カギで引っ掛け素早く抜き出す。

力でなく技で。

その一連の流れが一瞬で終わり、その後辺り一帯がタコ墨で真っ黒になり、写真撮影不可能となる。
その墨の中で、オジィはタコを裏返し、不要の内臓などを取り出してから、また元に戻して、浮きにぶら下げ、次の目標に向かう。

夫婦ダコのときは、なるべくメスから取る。
オスから捕るとメスは自分だけ逃げてしまうが、オスはメスが捕らえられると、いつまでも未練たらしくその場に離れないので、同時に2匹取ることができる。
「タコも人間と一緒さ〜!」と笑いながら教えてくれた。

そして、タコの身は、オスよりメスが柔らかい。塩でしっかり揉んで、ぬめりを落としたタコの刺身は、とても美味しい。

生き物は食べ物、大切なことを教えていただける。海人のおすそ分けをいただきながら、いつも幸せだなぁ、と思う。

健康の秘訣は「海に潜ること」だと言い切っていた亀太郎オジィ。
「日本に復帰する前は、どこでも行けたのに・・・地先の延長で海が区切られてしまった・・・昔は、魚影を求めて遠くまで出漁していたのに。何度も、境界審判で捕まりおった。」

漁港に帰ると、少し離れた場所で、作業をしていた海人が、船揚を手伝いにやってきてくれた。その姿を見つめる子供たち。

仕事場が遊び場で、網から魚を外す大人たち、ウニを運んだり、納品するための殻剥きを横目に、遊んだり、お手伝いをしたり・・・親の背中を見て育てる環境。大人の仕事場と子供の遊び場を、まっすぐに定規で区切ることのできない世界。境界線が揺れ動く。そんな世界が私は好きだ。


外海からの波はリーフで打ち砕かれ、イノー内は、サンゴ礁に守られた穏やかで優しい海。陸と海の境目もまた、潮の満ち引きで動き続ける。時計時間じゃない、自然のリズムで。

浅瀬は、自分の培ってきたスキルを、子供や後継者などに教える場所として機能している、という話を韓国の海女から聞いた。イノーの海も、そういった役割があったのではないかと思っている。
イノーの海はまさに海学校だ。