--> 海人工房資料館ハマスーキ

海人 山城久雄






自宅にて製作道具の説明をする山城久雄
(1943年ー2021年)
(撮影:古谷千佳子)
太平洋戦争真っ只中だった昭和18年、石垣島登野城で生まれた山城久雄。

隣近所、周囲がみな糸満海人で、遊び半分で潜ったりしながら海の物を獲っているうちに、生活するには海人しかないと思い始めるようになり、戦後中学生になった頃からは海人の親方だった父親や近所のオジイ、先輩達に連れられ本格的に漁に出ました。そこからおよそ40年にわたり海人を続け、引退した後はその情熱をひたすら鉛筆画に傾けてきました。

素潜り漁、一本釣り、マグロ船などの様々な漁の様子や海人達の生活の様子など、海人時代の記憶が約3,000枚の鉛筆画で表現されています。「頭のカメラで写したものを日記のように表現している」と本人が語る画は、鉛筆と消しゴムで描いたとは思えないくらい正確で力強い描写となっています。1本1本の緩やかな線と濃淡で表現する波、うねり、さざなみ、潮目、そして雲。実体験をしたものだから描けるリアルな海の様子は、まるでその場所で見ているかのような錯覚を覚えるほどです。海人の暮らしの一つ一つを記憶として残しておきたい、そんな想いで描き綴られた鉛筆画は、素潜り漁を経験した海の民から私達へ、そして未来へと引き継がれていきます。