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序章 『海人の言づて』の構成

『海人の言づて』は、糸満の海人文化をより多くの海のまちで生きてきた人たちに伝えて行く事を目的に、糸満という風土に生きてきた海人およびそのまちで生きてきた人々の言葉を集め後世に伝えていかんとしています。

長い時によって紡がれてきた人々の生きざまは、世の中の変化に応じて漁法や暮らしも変化しつつも根底には変わらぬ軸もあったはずです。したがって、本「海人の言づて」では、糸満の歴史を俯瞰しながら、戦前から今日に至る海人の言づてを収録することに努めました。

そこで、次のように章立てをいたしました。

 第1章では「糸満の歴史的成り立ち」とし、古の時代から糸満のまちの状況を記した文献を引用し、今日の糸満の前身を知る事を意図しました。

 第2章は「糸満のまちと海人」とし、明治以降に急速に発展してきた糸満の諸状況について、既存の論文や刊行物等から転載いたしました。

1944年に発表された仲松弥秀先生の『糸満町及び糸満漁夫の地理的研究五』はともすれば糸満が漁師町と安易に呼ばれてしまう中で、当時の糸満のまちと人々の暮らしを良く精緻した論文となっています。

長田文さんの「ミーカガンを考案した父・玉城保太郎を語る」は娘の長田文さんによる父の記録です。長田さんにも偉大な父の記録を取っていなかったことの後悔が記されています。まさに私たちが「海人の言づて」を企画した思いそのものです。

牧野清さんの『イチマンウイ人身売買事件』はアギヤーの漁法の発展に欠かすことできなかった、雇い子の問題について論じています。

 島袋良徳さんの『糸満の海の言葉や地名が消える』は、イノーの埋め立てや大きな動力船の出現により沿岸の海の知識が失われていく事への危惧が示されています。

これらの執筆者はいずれも故人となり、今では彼らの記録自体が今を生きる私たちへの言づてとなっています。

 第3章は「戦時中の海人の記録」としました。生死をかけ時代を生き抜いてきた先人の大事な記録です。

玉城牛次郎さんの「海人の防衛隊」と上原完亮さんの「航空参謀を徳之島に送る」は、海の知識が豊富でサバニの操作に卓越した技量を有した糸満海人への信頼が見られます。

松本好郎さんの「渡嘉敷島の悲劇・戦後の海人業」は、戦時中の慶良間の島々の悲劇と戦後の香港貿易などに関わった貴重な記録です。

 第4章は、「戦前・戦中・戦後を生き抜いた糸満人」は、海人から経済人等として生きてきた人々の記録です。

並里松蔵さんの「私の歩いて来た道」と金城カネさんの「私の人生」はいずれも個人出版物からの転載です。この二つの記録は、戦前、貧しい中で育ちながらも努力の末に掴んだ幸福があり、また、誠に生きよとのメッセージが込められています。

 第5章は、「糸満海人の分村と活躍」とし、最初に喜界島の地元漁師の富福太郎さんの聞き書きを転載いたしました。「喜界島から戻って来た糸満人」では喜界町が湾に生まれ、戦後沖縄に帰り起業し成功した(株)ホクガンの前社長上原武市さんの生きざまを「ホクガン」のホームページより転載しました。

上原孝夫さんの「八重山生まれの糸満人」では黒島での糸満海人の暮らし、雇い子のことや黒島から糸満への引き上げの様子が記録されています。

第6章は、戦後、大西洋でトロール船に乗り込んだ大城聰さんの航海記と、糸満のまちの音と匂いについて崎山正美さんが書きました。

第7章は、「子が語る親の言づて」として、新垣ヨシ子さんの「海人の父親の思い出」、上原利夫さんの「新山戸拝見家の海業」、山城新太郎さんの「海人山城新徳の人生」では、山原から糸満に雇い子として売られてきた祖父と父についての記録です。

第8章は大城忠さんの「新出南宇那志の海業」で親子三代に渡って糸満の海に関わって来た話を掲載しました。「海人のまちの風景」は糸満のカンジャージョーグヮーの西のはずれで船揚げ場と網干場を目の前にした生家と町の様子を音と匂いの面から書いてもらいました。

第9章は、「現役海人の言づて」とし、上原常太郎さんの「パンタタカーからエビ漁、立て延縄漁へ」、城間盛弘さんの「エビ獲りからパヤオ漁へ」、平良俊夫さんの「何度も潜水病にかかった」、大城清子さんの「ウミンチューの町に生まれて」を掲載しました。

第10章は、「海人文化を繋いでいく」として。それぞれの海人の言葉からこれから先の糸満と海の関りを展望するようにしました。

サバニ造りの職人、大城清さんの「サバニ造りの技術を繋いでいきたい」と大城昇さんの「親子二代でサバニ大工」掲載しました。また、伝統のハーレーの継承を考えて行く事で、〇年前に地元コミュニテイー放送のミニコミ誌に開催された金城猛さんの若かりし頃のハーレーの思い出と今日、ハーレー行事の伝統の継承に努めている与那嶺和直さんの「糸満ハーレーを語る」を掲載しました。